その日、私と横水さんが予約したホテルは、費用の面で言えば、今回の旅の目玉とも言える、オシャレなリゾートホテル。
ギリシャのサントリーニ島を模したという建築様式で、ホームページを見ると、まるで外国かと見間違うような、美しいコテージ式のホテルだ。
「期待が高まるよね~」
「うん、どんなとこなんだろ」
私達は期待を胸にクルマを走らせ、ホテルへの道案内通りにカーブを曲がり、岬の先端にある山の斜面を上っていった。
「この山のてっぺんにあるんだね」
「もうすぐじゃない?」
頂上と思われる場所に到着すると、駐車場と、白く真横に伸びる壁。
「え? ここ??? 壁しか無いじゃん?」
ギリシャの風景が目の前に広がるものだとばかり思っていた私達は、拍子抜けした。
「道、間違えた?」
「いや、一本道だったよ、ここだよ」
私達は恐る恐るクルマを降り、白い壁に小さく付いた、黒いアイアンの門をのぞきに行く。
「あ、やっぱりここだ。ここから下に階段が続いてる。フロント下って書いてあるよ。まこちゃん、中に入ろう」
「えー、また階段~?」
私達はクルマのトランクからスーツケースを降ろすと、アイアンの門を開け、まるで路地のように見える細く白い小道の階段を降りて行った。
建物で言ったら、2階分くらい降りたあたりで、先を降りていた横水さんが私を振り返り、
「!!!」
という顔をした後、
「まこちゃん、振り返ってみて!」
と言った。私が後ろを振り返ると、そこには――、
――別世界に迷い込んだかと思うような、ギリシャの街並み。白い壁に白い階段、青い屋根、青いドア、木製の竿にキャンバス地のビーチパラソル、タイルのテーブルとアイアンの椅子。白い十字架のアーチの向こうに広がる海は、もはや土佐湾じゃなくて、エーゲ海……。
一気にテンションが跳ね上がる。
「ちょ、よこちゃん! 何ここ!? すごい素敵!」
「ね!ね! すごいよね~!」
私達は山のてっぺんの駐車場に着いたので、敷地を囲う壁しか見えなかったけど、そこから海へと下る斜面に沿って、白い街並みが作られていたのだ。まさにギリシャのサントリーニ島と同じ、断崖に沿うような設計(本物は写真でしか知らないけど)。この美しい建物群の中にコテージスタイルで、14室の客室が配されているらしい。
「よ、よこちゃん、こ、これは、腰が抜けるほど素敵だよ~」
「すごい素敵だよね~!」
私達はフロントの棟に入り、チェックインの手続きをした。ホテルスタッフの皆さんは、女性も男性も黒のパンツに白いシャツ、黒のベスト。笑顔や対応は、都心の高級ホテルクラスの接客だ。フロントの奥にはレストランが見える。いや、リストランテか。レストランというキーワードではオシャレさがお伝え出来ない素敵な雰囲気。
チェックインが済み、とても洗練された物腰のスタッフのお姉さんに案内されて、私達はキョロキョロしながら客室に向かう。
「こちらが今日のお部屋でございます」
スタッフのお姉さんが部屋のカギを開けてくれる間に、周りを見渡す。部屋のドアの前にはビーチパラソルタイルのテーブルと椅子、広々とした空間があり、ひょうたん型のプールもある。まるで外国! 日本じゃないみたい!
夕暮れ色に染まったエーゲ海が、じゃなくて土佐湾が、絶妙な色合いで目の前に広がり、この風景を見る場所は、私達2人で独占なのだ。イヤッホウ!
白地の壁に映える青色のドアが開き、今夜の私達の部屋が見えた。
――可愛いい! ロマンティック~!
断崖に横穴を掘って作られた、サントリーニ島の伝統的な建築様式、洞窟型の天井。ゆるやかなアーチが生みだす美しい曲線が、残り少ない乙女心をくすぐるったらありゃしない。
たっぷりと広い大きなベッド。ゆったりした間取りでリゾート感満載。私達のテンションはますます跳ね上がった。部屋の奥にはジャグジーも付いている。
「明日はこちらの海から日の出が見えますよ。ごゆっくりどうぞ」
笑顔のお姉さんは部屋の正面の海を指すと、お辞儀をして去って行った。
部屋は素敵だし、居心地がいいし、リゾートだし、雰囲気抜群。2人になった私達はもう、大はしゃぎである。
「よこちゃん、もうさ、こんなとこにいる私達って、完ぺき素敵マダムだよね」
「こんな素敵なとこ泊まっちゃったら、もうマダムでしょう」
「ごきげんよう、横水夫人」
「あら、ごきげんよう、松桐谷夫人」
私達は気取って挨拶を交わし、ベッドとソファで転げてゲラゲラ笑った。
「若い娘さんだったらさぁ、こういうとこに来たら、彼氏と来ればよかった~って言ったと思うけど、この素敵さとか、大はしゃぎを共有できるのは、やっぱり友達だね!」
「ほんと! その通りだね! 2人で来ることができて良かったね~」
遠く離れた名古屋にいる、理解があり留守番もしてくれるお互いの夫に感謝しつつ、部屋の中でひとしきりはしゃいだ私達は、夕暮れ時の写真を撮るため、ホテルの中を散策して歩いた。夕闇に霞んだ白い街並みは、もう、どこを切り取っても素敵な写真になる。カメラマンの腕前は関係なく、ロケーションが抜群だからだ。
私達は手すりに手をかけ、海を眺めた。暑いけど昼間より温度の下がった潮風が、心地よく私達の間を通り抜けていく。
そこにあるものを見て、楽しみ、感じて、味わう。
――そう、私達は旅に来たのだ。
「よこちゃん、お風呂すごい大きいよ~、大人4人くらいで入れるくらい広いよ~」
「ほんとだ、これはゆったりできるね。ねぇ、まこちゃん、そろそろお腹すかない?」
「すいた―、もうそろそろ海の幸など味わっていい頃合い~」
「ホテルは朝ごはんだけのプランにしたからね、明日の朝はフロントの奥にあったレストランで食べるけど、今夜は土地のものを食べようって計画だったから、どこに行く?」
「さっき、フロントのお姉さんが教えてくれた、一番近くの海鮮焼きの居酒屋に行こうよ」
「そうしよっか。じゃ、行こう」
私達は再び階段を上がり、車に乗ってホテルから居酒屋を目指した。
ホテルからほど近くの、とても庶民的な雰囲気の居酒屋は、看板がライトで照らされ、店の外にイケスがあり、水槽の中では貝や魚がひしめいていた。店内に入ると、たくさんの人でガヤガヤと賑わっている。
観光客だけでなく、家族連れなど地元の人も多いようだ。繁盛しているらしく、とても混んでいたけれど、私と横水さんは座敷席に座ることが出来た。
とりあえず頼んだジンジャーエールを飲みながら、注文を取りに来た60代くらいのおばちゃんにおすすめを聞く。やりとりしながら横水さんが注文する。
「お刺身の中には、かつおも入りますよ~」
「じゃ、とりあえずお刺身の3種盛り合わせと……」
「貝の盛り合わせがおすすめですよ。5種類の貝を盛り合わせたもので、この網の上で焼いて食べてもらうんです」
「……まこちゃん、貝の盛り合わせ頼む?」
「……うん、頼む」
「じゃ、それと、あと海老2尾でお願いします」
「火をお付けしますね」
と、お店のおばちゃんはグリルのスイッチを入れると、厨房のほうへ下がって行った。しばらくするとお刺身が運ばれて来た。かつお、はまち、鯛の3種盛り。
「わー、美味しそう! どれも脂ノリノリの照り照りだね! これは美味しいよ」
「かつおもタタキじゃなくてお刺身だよ。新鮮だからだね、きっと」
私達はとりあえず、かつおに箸を伸ばす。
――う、うまーーーーーーーい!
全然臭みが無く、濃厚な味が口の中でとろけるよう。噛むほどにじゅわっと旨味が出る感じ。はまち、鯛も、新鮮でとても美味。歯ごたえがあり、身がギュッと締まっている。
「美味しいね!」
「美味しいね!」
続いて海老と、貝の盛り合わせが届いた。貝の盛り合わせは、むずむずと動いている。
「よこちゃん、生きてる! 生きてる!」
「本当だ! 踊り食いっていうやつだね~」
横水さんは「ごめんね、ごめんね~」と言いながら貝をトングで摘み、容赦なく網の上に並べていく。
貝は、はまぐり、サザエ、オウ貝、ナガレコ、長太郎、の5種類。はまぐりとサザエ以外の貝は、初めて名前を聞いた。横水さんも初めて聞いたと言う。
バチッ! と音を立てて、はまぐりが開く。
「キャー!」「キャー!」
2人で驚く。貝も驚いているのだろう、ごめんよ、貝よ。
「中の汁がグツグツしてきたよ。もうすぐ食べ頃だよ、まこちゃん好きなの取っていいよ」
「今さら言うのもどうかと思うんだけどさ、私、あんまり貝、得意じゃないんだよね~。だからよこちゃん、好きなの取っていいよ」
「え~、私も実はあんまり貝、得意じゃないの~」
「あれま!」
「でも、食べよ食べよ、獲れ立てのやつは、きっと美味しいに違いないよ」
「うん、じゃ、わけっこして食べよう」
もう静かになって煮汁がぐつぐつしているはまぐりを、こぼさないようにトングで取り分ける横水さん。はさみでジャキンと2つに切り、それぞれの取り皿に分ける。
私と横水さんは、同時に箸で貝の身を口に放り込む。
う、うまーーーーーーーい!
ほくほくの身を噛むと、じゅるっと旨味のある貝の汁があふれ出る。ぷりぷりの身が、口の中でほどけていくような味わい。
「私、貝、苦手じゃなくなったわ」
「私も」
貝の殻にたまった汁も2人で分けて味わい、次の貝に手を付ける。どの貝もとても美味しい。アワビの仲間のナガレコという貝は、見かけも小さいアワビのような感じで、こりこりとして甘みがあった。長太郎は柔らかく、ホタテのような味わい。
焼き網の上で勢いよく爆ぜる貝に、大騒ぎしながら焼き物を食べ尽くし、
「後は締めに、ごはんものを食べよう」
ということになった。先のおばちゃんにおすすめを聞くと、貝のおじやが人気だと言うので、それを注文することにした。
しばらくすると、おじやが出てきた。ものすごくいい匂い。貝の旨味が大放出してま~す、ということが嗅覚で分かる。もう、美味しくないわけがない。
2人で半分づつ取り分け、レンゲでおじやを口に運ぶ。
やっぱり、、、
う、うまーーーーーーーい!
案の定、とても美味しい。貝の旨味がおじやに溶けて、薄味なのに貝の味が沁みたトロトロおじや。
「これ、すっごい美味しいね!」
「ほんとに、すっごい美味しいね!」
テレビと違って、美味しい時は美味しいね、しかセリフが出ないのだなと思わされる、絶品の逸品だった。
お腹もいっぱいになり、座敷でグデグデと寛ぐ横水さんと私。
私は、店内に立ててあるノボリに目をやって、横水さんに言う。
「あそこに、1×1=1アイスクリン、って書いてあるじゃん?」
「あ、ほんとだ」
「あのノボリねぇ、今日いろんなところで見たよ。道の駅にもあったし、桂浜でも見た」
「本当? ~本場高知~って書いてあるね」
「気になる気になる」
私はよくばりなので、めずらしいものには目がないのだ。
「お店の人に聞いてみようか」
たずねると、高知には昔からある、アイスクリームのようなものだと言う。
「よこちゃん、食べてみようよ」
「そうしよう、頼もうか」
私達は抹茶味とイチゴ味を頼んだ。すぐに、ソフトクリームのモナカのコーンに入ったアイスクリンがやってきた。それぞれ2つに割り、2つの味を半分ずつ2人で分け合った。
早速食べてみる。
「……うーん、普通だね」
「……そんなに珍しい感じじゃなかったね」
どちらかというとアイスクリームと言うよりは、ジェラートのような舌触り。これをデザートにして私達は食事を終え、ホテルへと戻った。
順番に部屋に備え付けられたジャグジーバスに浸かり、今日の疲れを取る。私がお風呂を済ませて出てくると、先にお風呂から出て、備え付けの部屋着に着替えた横水さんは、アラームをセットしていた。
「まこちゃん、明日の日の出は5時33分です、ってカードが置いてあるよ。私は起きるよ、そして日の出を拝むよ」
「え~、がんばるなぁ。5時半起き?」
「ううん、日の出前からスタンバイして、空が変わるのを見るよ」
「うわぁ、本当に~? 私はギリギリに起きるよ。明日の朝はクジラツアーだよね。それに間に会うようにするには何時に起きればいいの?」
「ホテルの朝食を早い時間に前倒ししてもらったから、7時からレストランで。だからそれに間に合えば大丈夫だよ」
「分かった、よこちゃん、明日の朝はがんばって。で、一応5時33分ちょっと前に私にも声をかけて」
横水さんは既にベッドに入りながら、シーツを引き寄せ、
「分かった、じゃ、おやすみ~」
と言うなり、
「ぐー」
次の瞬間には寝ていた。横水さんは普段から早寝早起きなので、今日は大変夜更かしなのだろう。私は、こんな楽しい1日を過ごして、興奮しちゃって眠れるかなぁ……
「ぐー」
……そうだ、私のわりには、今日は早起きをしたのだった。私は薄れていく意識の中で、明日クジラに出会えますように、と願いながら、ふかふかのベッドに沈んでいった。
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